グッチの歴史~その③~

皆さんこんにちは!

 

前回からの続き、グッチ家血族間の争いについて。

 

グッチは数々のスキャンダルによるイメージダウンと管財人の素人経営で業績不振に陥ります。

1988年マウリチオが会長に復帰しますがマウリチオに嫌気がさしていたパオロ含む3人のアルドの息子が株をアラブ資本の投資銀行へ売却。

1990年アルドは「パオロを一族の墓に入れてはいけない」と遺言を残し亡くなりました。

 

一方、マウリチオはパトリツィアが自分と結婚したのは財産やグッチそのものにあった事に気づきパトリツィアに嫌気がさして別居し他の女性と暮らすようになりました。

 

経営の才があるとは言い難いマウリチオが経営した会社の売り上げは年々低下し、1993年経営に嫌気がさしたマウリチオは全ての株をアラブ資本に売却し全てのグッチ家の人間はGucciと関わりが無くなりました

 

1995年、最後のスキャンダルが起こります。

多くの目撃者がいる中、元会長マウリチオが射殺されます。

それから2年後の1997131日、ついに捜査員がマウリチオ暗殺の犯人が住むミラノの高級マンションに踏み込みます。

元グッチ会長夫人パトリツィアが逮捕されました。

 

199811月禁固29年の判決を言い渡されました。

 

以上がグッチ家の血族間争いの全容です。

 

ドロドロですね(^_^;)

 

ちなみにパトリツィアは最近出所したそうですが、「働きたくないから出所したくない」と言っていたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後にパトリツィアの残した名言(迷言?)をご紹介。

「幸せはお金では買えないけど、お金はある方がずっといい。自転車に乗って幸せでいるより、ロールスロイスの中で泣いている方がまし」

 

彼女の生き様を体現していますね。

 

グッチ家血族間の争いの話は以上です。

また何か面白い話が有りましたらご紹介したいと思います。

 

araki